※これは50年前のアメリカ旅行続編 インド編です。
アメリカから帰国した頃、自然とまわりの友達もヒッピーやミュージシャン、サーファーといった自由な空気を持つ仲間に変わっていった。
バイトをしながら、ディスコに通い、サーフィンに出かける日々は変わらなかった。
その頃のディスコ
当時のディスコには「チークタイム」という文化があった。1時間に2曲くらい、スローテンポな曲がかかる時間があり、
男は意を決して、席に座る女の子に声をかける。断られたら、すぐ隣のボックス席へ。
そんな出会いが、偶然に運命へ変わることもあった。実際に僕の友達で、そこで出会って結婚した人も何人もいる。
今の日本、少子化の波に揺れているけれど、出会いの場が失われ、自由が制限されればされるほど、心の距離も遠くなっていく気がしてならない。
精神世界の旅へ
そんな日々の中、「精神世界の旅」へと出発するため、お金をためた。
向かう先はインド。そしてその先のネパール。
情報を集めているうちに、インドでは日本のボールペンや電卓が高く売れるとわかり、ボールペンを100本、電卓を20〜30個購入。
南京虫対策に犬用のシラミ駆除パウダー、ネパール用に防寒具なども詰め込み、バックパックはパンパンになった。
東京まではいつものようにヒッチハイク。
羽田空港(当時の国際空港)では空港内で一晩を過ごし、翌日、出発。
バンコクでのトランジットを経て、ついにインド・ボンベイ空港に降り立った。
ボンベイ空港の衝撃
イミグレーションを抜けた瞬間、思わず足が止まった。
空港のガラス窓越しに、何百人ものインド人が中をじっと見つめているのだ。まるで映画のワンシーンのような異様な光景。
外へ出ると、「タクシー!」「荷物運ぶよ!」と一斉に群がってくる。蟻のように、押し寄せる。
旅が始まったばかりなのに、すでにぐったり。

何とかタクシーを見つけ、「ボンベイ駅までいくら?」と英語で尋ねるも、通じない。
ようやく一人が金額を提示してきたので、その車に乗り込んだ。
ボンベイ駅〜インド列車の洗礼
ボンベイ駅に着くと、そこもまた壮絶な光景。
チケット売り場は人でごった返し、どの列が何の切符かもわからない。
押され、もみくちゃにされながら、アジャンタ窟院近くの駅までのチケットをようやく手に入れた。

予約していた列車は、3時間遅れ。
プラットホームに入れない人々は、線路上で列車を待っている。
ようやく列車が来たかと思えば、なんと窓から人が中へ入っていく。さらに屋根にまで人が乗る。これがインドか…!
僕は運よく憲兵が立っている2等車のドアから中へ入れたが、車内もすでに超満員。もちろん座れない。
忘れられない床の体験
1時間ほどして少し空いてきたが、座席はまだ埋まっている。
他の乗客にならって、床に足を投げ出して座った。
そのとき、2歳くらいの男の子が僕の方を見てニコニコ。
手を振ると、笑顔でこちらに寄ってきた。可愛いな、と思った瞬間、僕の足元20cm先の床にウンチをした。
「うわっ…!」と戸惑っていると、母親が現れて布のようなもので拭き、子供を抱っこして席に戻っていった。
日本でもアメリカでも、こんな光景には出会ったことがない。
まさにカルチャーショック。
果物売りの子供たちと、電卓商売
2時間ほどして、ようやく座席に座れた。
列車は広大な荒野をゆっくり進み、時折停まる田舎の駅では、子どもたちが窓越しにミカンや果物を売ってくる。
試しに買って食べたミカンは、とても美味しかった。
そんな中、身なりの良いインド人男性が英語で話しかけてきた。
「どこから来た?」「日本から」と答え、「電卓あるけど、買わない?」と営業開始。
「ついてこい」と言われ、案内されたのは1等車の個室。
中には、ターバンを巻き、手や腕に金のブレスレットやネックレスをじゃらじゃらつけた超金持ちが座っていた。

机を挟んで、商談スタート!
僕は日本の仕入れ価格の10倍でふっかけた。
相手は日本の値段より安い金額で指値を返してくる。
2時間ほどのやりとりの末、電卓もボールペンも全数売却成功!
たぶん、日本での仕入れ値の3倍くらいでは売れた。
ラッキー!!
アジャンタの夜と野生のサル
列車で目的地に到着し、さらにバスでアジャンタ窟院近くへ。
途中の停留所では、果物、咬みタバコ、花などを持った少年たちが車窓越しに売り込みに来る。
夜になって到着し、道端でサモッサを購入。中身はよくわからなかったけど、なかなか美味しかった。
カレーも食べたけれど、とにかく辛い!
近くのホテルにチェックイン。一泊150円ほどだったと思う。
夜はロビーのような広間でくつろいでいた。白人の旅行者が多く、一人が突然「見て!」と窓の外を指差した。
みんなで見ると、近くの丘の林に10頭ほどのサルが木を渡っていた。
暗くてわかりづらかったが、人間と同じくらいの大きさ。こちらをじっと見ている。
しかも、窓にはガラスがない。
「これは…来たらヤバいやつや…」と冷や汗がにじんだ。
アジャンタ窟院の驚き

翌朝、アジャンタ窟院へ。
こんな山奥に、どうやってこんな壮大な石窟を作ったんだ…?
壁画や仏像に囲まれた空間は、荘厳で神秘的で、息を呑むような静けさが漂っていた。
感動というより「圧倒された」感じだった。
インド列車での一夜と陽気な宴
再びバスと鉄道を乗り継ぎ、今度はパトナへ。
列車内での一夜。暗くなって停車したかと思うと、チャイ売りやサモッサ売り、カレー弁当売りが次々に車内を歩いてくる。
インドの列車は、食事の時間になるとまるで宴会場!
みんなが陽気に笑いながら食べている。
僕も腹が減っていたこともあり、全部が美味しかった。
次の目的地へ
パトナに到着後、そこから飛行機でネパールの首都カトマンズへ向かう。
12人乗りの小さな飛行機は、今にも空中分解しそうな音を立てながら、雲を切って飛んでいった——
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