ネパールで
カトマンズに着いたら、まず感じたのは「寒い!」ということ。
空港のインフォメーションで安宿を探し、1泊100円ほどの3人部屋にチェックイン。
同室はドイツ人とイギリス人。なんと二人とも、ヨーロッパから陸路でここまで来たという。
「そうか、インドとヨーロッパって地続きなんやな」と、旅のスケールを肌で感じた瞬間だった。
翌日、街を歩いていると日本人と出会った。
ヒッピー風の服装で、「日本人か?」と聞かれ、「日本人やで」と返すと「今から飯、行かない?」と誘ってくれた。
アメリカでは日本人同士でもあまり声を掛け合わなかったけれど、インドやネパールに入ってからは、不思議と日本人が恋しくなる。
見かけたら自然と声を掛けてしまう。
向かったのは日本食レストラン。インドと比べるともう、天国のように美味しい…!
ただし注意点もあって、雑誌『宝島』には「インドから来た旅行者が、嬉しくて食べ過ぎて肝炎になることが多い」と書かれていた。確かにその気持ち、わかる。
晩ごはんのあと、いろんな国のヒッピーが集まる喫茶店へ。
薄暗い照明の中、木の机にいろんな国の旅人たち。土製のパイプにタバコとハッシシを詰めて、モクモクと煙をくゆらせている。
まさにカトマンズならではの空間だった。
カジノとヒマラヤへの冒険
数日後、ルームメイトのイギリス人に誘われて、カジノへ行くことに。
場所はなんと宮殿。貧しい国の中に、こんなにも豪華な建物があるなんて…。
中にはネパールのお金持ちたちと、少数の外国人(だいたいヒッピー風)が混じってゲームを楽しんでいた。
ある日、モクモク喫茶店で出会ったヨーロッパ人が「明日、ヒマラヤを見に行かないか?」と周囲に声を掛けていた。
寝袋が必要、朝6時にナガルコット行きのバス停集合。
結局、その男は来なかったけど、集まった4人で出発!
バスで2時間、ナガルコットに到着。何もないただの砂利道。
バスの運転手に「ヒマラヤ?」と聞くと、無言で指差すだけ。
そこからは徒歩で10時間。人もほとんど見かけず、道が合っているか不安になりながらも歩き続けた。
途中、大麻草が自生しているのを何度も目にした。
窓のない民家の中には巨大な水パイプがあり、家族団らんで吸っているのかもしれない、と思わせる光景。
日が暮れる頃、ようやく山頂にたどり着き、古びたホテルへ。
満室とのことで、物置に寝袋を敷いて4人で就寝。とにかく寒くて、身を寄せ合って眠った。

朝、誰かが「ヒマラヤ!」と叫び、皆で窓へ駆け寄った。
朝日が当たる白銀の山々が遠くに連なってそびえ立っていた。
まさに感動の一瞬。
帰り道と幽霊の話
翌日、1時間ほど歩いたところで奇跡的に車が通りかかる。
「どこまで行くんだ?」と日本語。なんと、カトマンズへ向かう日本人商社マン2人だった。
ヒマラヤを見に来て、昨日同じホテルに泊まっていたという。
車内で色々話をしていると、彼らが「最近、幽霊を何度か見た」と話してくれた。
インドやネパールの旅は、心の奥深くまで揺さぶられるものがある。精神的に鋭敏になっていたのかもしれない。
一緒にいた他の外国人たちには、その話はしなかった。
カトマンズの町で見た日常
しばらく宿に滞在しているうちに、シェアハウスで掃除や雑用をしていた高校生くらいの男の子2人と仲良くなった。
サモッサなどを渡すと、町の色んな場所を案内してくれた。
彼らに連れられて訪れた裏町では、ヤギの首が吊るされた肉屋や、鶏が逆さにぶら下がっている店など、日本では考えられないような光景が日常として存在していた。
宝石屋もいくつか回った。

ある日、街に象の隊列が現れた。
象使いに囲まれた巨大な象たちが、荷物を乗せて細い通りを進んでいく。
店の屋根にぶつかりそうになりながら、象使いたちは大声を張り上げて象を操る。
サーカスではない。これが“日常”だった。
あなたの旅が始まるなら
ネパールで過ごした日々は、まるでシンドバッドの冒険のようだった。
子どもの頃に読んだ絵本が、今、現実になっていた。
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